越前岬

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蔵に戻ってきた兄弟 第2話

「弟が、実家に戻って酒造りを始めた・・・」
そんな話を親から聞かされた時、私は大手酒造メーカーに就職して5年目。
営業支社の名古屋でも重要な量販チェーンを担当させてもらえるようになり、
仕事にやりがいを感じ、とても充実していました。

ところが、盆に帰省した時、弟は南部杜氏講習会や研究所の合宿など
酒造りの第一歩を確実に歩み始めていました。
明らかに、成長している・・・その時、実感しました。
私の知らない専門的なことも知っていて、その時「焦り」のようなものを感じたのも
覚えています。
兄弟というのは時に、そういうところで意識し合うところがあるというか・・・
その「焦り」はこの年ずっと持ち続けていたように思います。

そして、弟に遅れること1年、2005年春に私も実家の酒造りに携わることになったのです。
両親は、私達兄弟がこうして2人共酒造りに携わる事は無いと思っていたようで、
とても驚いていましたが、嬉しそうな感じでした。
少しは、こうなることを期待していたのかも知れませんねわ

私が、小学2年の時から20年間、冬になると岩手から毎年来てくれる鷹木杜氏も70歳を
過ぎていました。
その年の冬、鷹木杜氏が「2人と酒造りができる日が来て、本当に嬉しい」と言ってくれた
言葉が今でも印象的です。。。
1.8ml蔵出し越前岬 コピー


蔵に戻ってきた兄弟 第1話

私は2人兄弟で、3歳年下の弟がいます。
元々彼は、幼少期より家業を継ぐつもりなど全く無く、さまざまな将来就きたい職業を口にしていたのを今でも覚えています。
そして、大学卒業を前に彼が選択した道は、「理学療法士」になることでした。

「理学療法士」というのは、怪我や事故で不自由になった患者さんのリハビリ治療の中心となってケアしてあげる仕事だそうですが、そのための専門学校にも見事合格していました。

一方の兄貴である自分はというと、家業を継ぐ気持ちと継ぎたくない気持ちが半々でした。酒造りに対する誇りや格好良さのようなものも感じていたし、長男としての自分が…という使命感のようなものがあったような気がします。
が、このまま家で酒造りをして一生涯過ごすということを想像すると、それはそれで少し寂しい気持ちになってしまう時がありました。

だから私は、大学・就職すべての人生の選択で、どちらでも通用する道を選びました。
大学は農学部へ行かず、商学部へ行きました。一般企業への就職もしましたが、酒造メーカーへ就職しました。
これなら、家業を継がなくてもいいし、継いだとしても、その経験が役に立つだろうと考えたのです。

しかし、
私が就職してから、5年目を迎えた頃。大学卒業後、専門学校への進学が決まっていた弟が、あの酒造りなど全く眼中に無かった弟が、なんと私より先に酒造りをするために、専門学校の入学を取りやめて実家に戻ってきたのです[emoji:i-199]  つづきは2話につづく

ついにブログ///

ついにブログを書くことになりました。

きっかけは、現在、会社のHPを作成してまして、
業者の方が親切に「新商品」や「イベント」の案内なども
ブログで更新していった方が良いとアドバイスしてもらった
というのが主な理由です。

正直言って、今まで他の蔵元さんなどのブログを覗いて楽しんで
いた割には、日頃から自分の部屋に人をあまり呼ばなかったりする
方なので[emoji:v-8]、プライベートな事はあまり書かない可能性
が高いかも知れません[emoji:i-228]

こまめに更新していくつもりです。どうぞ宜しく[emoji:v-235]


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