越前岬

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わごころ放浪記 IN 鹿児島〜守るべき日本の姿がそこにある〜

前回に引き続き、これから数回に渡り、私、田邊丈路が周遊(・・・と言っても主に蔵元めぐりですが)した様子をお伝えします。冬の造りを終え、夏は毎年旅に出ているのですが、今回は先日の福岡で行われた新酒鑑評会から移動して鹿児島からお伝えいたします

6月29日、正午少し前、いよいよ鹿児島に到着
さすがは「焼酎王国鹿児島」新幹線のホームのエスカレーターを降りると、焼酎バー酒がお出迎えです。

焼酎バー

外は雨も心配しましたが、雨は降っておらず、蒸し暑い天気でした。
バスに乗り、今日の目的地、知覧(ちらん)へ出発です。
鹿児島も、福井と同じで路面電車が走っていました電車。市内を離れると、車窓の風景も徐々に変わり、くねくねした山道を進んでいきます。

峠を越えると、一気に視界が開け、趣のある町並みが現れてきました。ここが知覧です。バスは終点の特攻観音入口に到着。町の空気は柔らかく、暖かいものでした。


ここ知覧は、太平洋戦争時、陸軍の特攻基地が置かれ、末期の沖縄決戦では、多くの若者が爆装した飛行機もろとも肉弾となり、敵艦に体当たりする特攻作戦が行われた場所です。
戦後この地に戦争の悲惨な真実を語り継ぐ場所として、特攻平和会館が建てられました。
中に入ると、外の空気とはまた違う、凛と張り詰めた少し重い空気を感じました。そこには、沖縄決戦時に飛び立った1,036名の隊員たちの遺影・遺品や戦闘機が展示されていました。隊員の方々が、両親や兄弟・妻子に宛てた遺書等は心に深く訴えてくるものがありました。

生と死の狭間に立った10代〜20代の若者の葛藤や、「自分の命を捧げて、愛する人を守り、祖国を守る」と言う強い志。戦後60年を超え、戦争と言う悲劇が薄れていく・・・そんな時代に、平和会館は、戦後生まれの私のような人に、改めて当時のことを教えてくれる、大変貴重な場所であり、自分の心と向き合える場所でした。

その時代時代の思想によって、そこに生きる自分たちの価値判断は変転していきます。
しかし、時代は変われども、変わらぬ思い、伝えなければならない真実は存在し、それを素直に感じなければならないと思います。

当時と今とを繋げる「輪(わ)」が特攻平和会館にはありました。

平和会館  桜並木

詰め粕出ました♪

今日の午後から、漬物などに使われる酒粕を詰めました[emoji:v-91]

小タンク  4キロ詰め粕
写真左のように、タンク一杯に詰まった粕を、当蔵では全て人の手で詰めて行きます。
真冬の板粕より少し茶色みがかった詰め粕。野菜や魚などの漬物専用です。
冬の板粕も、お問い合わせを多くいただくのですが[emoji:v-213]、夏の詰め粕も根強い人気の一品となっております[emoji:v-290]

蔵に入ると漂う酒粕の香り・・・これがなんとも言えずいい香りで[emoji:v-353]
しかし。これがもう少しして真夏になると粕が溶けてきて重みが増し・・・香りも強くなり[emoji:v-393]人の手での作業は厳しい日々となります[emoji:v-356]
嬉しいような、苦しいような・・・贅沢な悩みですみません[emoji:v-356]

ふくいブランド大使

先日、福井県ふくいブランド推進室より、待っていたものが届きました

名刺
そうです、田邊酒造も『ふくいブランド大使』となったのです
早速、名刺に貼ってみました。

そして、同封されていた冊子に目を通しました。
改めて・・・健康長寿のふくい。これを支えているのは、私たちが日々普通に口にしている食べ物や生活環境であることを実感。
ご存知でしたか?
社長輩出率ナンバー1福井である事  や、
住みやすさ1位福井である事。

すごいな。と思うと同時に、知らなかった自分がちょっと恥ずかしくなりました
仕事で県外に行く機会の多い立場上、これからは積極的に福井の素晴らしさをアピールしていこう!と再度強く思うのでした・・・。

水田にカルシウム♪

「面白いものが見られるよ〜
と、山田錦の作りをお願いしている南さんから連絡をいただいて、水田見学に行ってきました。
(と言っても、田んぼは店から車で5分とかからない場所にあるのですが・・・

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↑下の写真にある白いもの。これが貝殻です貝
私達が体を丈夫にするためカルシウムを取るように、水田にも貝殻をまいてカルシウムを与えるそうなんです。私達の体も、お米も手入れが大切なんですね
そして、今は↑上の写真のような感じですが・・・

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しろかき作業をすると↑のような水田になります。
これから、まだまだ作業が続きますので、またその都度(出来る限り)リアルタイムにご報告していきます

今年も美味しいお米が出来ますように・・・南さんに感謝です福助

盛大な春祭りです(^^;)♪

ゴールデンウィーク中の5月3日、私達の蔵のある芝原2丁目も加えた地区の9町内合同で、春祭りが行われました絵文字名を入力してください絵文字名を入力してください絵文字名を入力してください



この地区では、春と秋の年2回盛大にお祭りが行われ、各地区のお神輿や小さい子供達・大人の方々の出し物(主にダンスや太鼓演奏となります)、様々に趣向をこらした演出が行われます。
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その為、9地区の道路は午後からほぼ半日封鎖状態です私達の蔵でも前日まではお神酒を配達に走り回り、当日は蔵の前に見物に来られる方が休めるようにと、朝から張り切って長椅子を準備しました。
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「今の時代、これだけ地域の人達が協力し合ってその地区の祭りを盛り上げているところは、一体どれ位あるんだろう・・・」
ふとそんな事を考えながら、松岡でよかったと改めて実感した一日でした。

九頭竜フェスティバル2008

6月1日(日)、地元永平寺町松岡地区に初夏を告げる「九頭竜フェスティバル」が河川公園にて開催され、多くの方で賑わいました。
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清流の町「松岡」ならではのメインイベント「いかだ流し」には、13チームがエントリー。ゴミの分別をPRするものなど、それぞれのチームが趣向を凝らしていました。
川の流れは思ったより早く、参加者達は大変そう・・・
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我々は、商工会青年部として、「わくわくトレイン」で子供達を河川公園1周ドライブ。。1回100円。大人気でした。その他、鮎のつかみ取りや夜の花火などで、多くの方に1日楽しんで頂きました。

松岡の水というのは、霊峰白山の雪解け水が、山間部から奥越を流れ、最後に辿り着く場所と言われています。それと同じように、福井県の蔵元もこの九頭竜川に沿って多く存在しています。今は、2件になってしまった松岡の酒蔵も、戦前には17蔵も存在していたそうです。そして、これから、この九頭竜川下流域では多くの鮎釣り客で賑わいます。

色鉛筆が走る

福井の方なら「米五のみそ」と言えばご存知の方が多いと思いますが、
米五の会長さんの色鉛筆で描いた似顔絵や風景画を見せて頂く機会があり、
その温かみのある絵に凄く感動してしまいました。
先月、名古屋での物産展でお会いする機会があり、私の似顔絵をお願いしたところ
快く描いて頂き、先日完成しました。

どうでしょう?? 少し恥ずかしい…
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多田会長のブログ「色鉛筆が走る」では、様々な心こもった絵と味のある文字を
ご覧頂けます。多田会長の人柄そのものです。http://danshuchu.exblog.jp/

蔵に戻ってきた兄弟 第2話

「弟が、実家に戻って酒造りを始めた・・・」
そんな話を親から聞かされた時、私は大手酒造メーカーに就職して5年目。
営業支社の名古屋でも重要な量販チェーンを担当させてもらえるようになり、
仕事にやりがいを感じ、とても充実していました。

ところが、盆に帰省した時、弟は南部杜氏講習会や研究所の合宿など
酒造りの第一歩を確実に歩み始めていました。
明らかに、成長している・・・その時、実感しました。
私の知らない専門的なことも知っていて、その時「焦り」のようなものを感じたのも
覚えています。
兄弟というのは時に、そういうところで意識し合うところがあるというか・・・
その「焦り」はこの年ずっと持ち続けていたように思います。

そして、弟に遅れること1年、2005年春に私も実家の酒造りに携わることになったのです。
両親は、私達兄弟がこうして2人共酒造りに携わる事は無いと思っていたようで、
とても驚いていましたが、嬉しそうな感じでした。
少しは、こうなることを期待していたのかも知れませんねわ

私が、小学2年の時から20年間、冬になると岩手から毎年来てくれる鷹木杜氏も70歳を
過ぎていました。
その年の冬、鷹木杜氏が「2人と酒造りができる日が来て、本当に嬉しい」と言ってくれた
言葉が今でも印象的です。。。
1.8ml蔵出し越前岬 コピー


蔵に戻ってきた兄弟 第1話

私は2人兄弟で、3歳年下の弟がいます。
元々彼は、幼少期より家業を継ぐつもりなど全く無く、さまざまな将来就きたい職業を口にしていたのを今でも覚えています。
そして、大学卒業を前に彼が選択した道は、「理学療法士」になることでした。

「理学療法士」というのは、怪我や事故で不自由になった患者さんのリハビリ治療の中心となってケアしてあげる仕事だそうですが、そのための専門学校にも見事合格していました。

一方の兄貴である自分はというと、家業を継ぐ気持ちと継ぎたくない気持ちが半々でした。酒造りに対する誇りや格好良さのようなものも感じていたし、長男としての自分が…という使命感のようなものがあったような気がします。
が、このまま家で酒造りをして一生涯過ごすということを想像すると、それはそれで少し寂しい気持ちになってしまう時がありました。

だから私は、大学・就職すべての人生の選択で、どちらでも通用する道を選びました。
大学は農学部へ行かず、商学部へ行きました。一般企業への就職もしましたが、酒造メーカーへ就職しました。
これなら、家業を継がなくてもいいし、継いだとしても、その経験が役に立つだろうと考えたのです。

しかし、
私が就職してから、5年目を迎えた頃。大学卒業後、専門学校への進学が決まっていた弟が、あの酒造りなど全く眼中に無かった弟が、なんと私より先に酒造りをするために、専門学校の入学を取りやめて実家に戻ってきたのです[emoji:i-199]  つづきは2話につづく

ついにブログ///

ついにブログを書くことになりました。

きっかけは、現在、会社のHPを作成してまして、
業者の方が親切に「新商品」や「イベント」の案内なども
ブログで更新していった方が良いとアドバイスしてもらった
というのが主な理由です。

正直言って、今まで他の蔵元さんなどのブログを覗いて楽しんで
いた割には、日頃から自分の部屋に人をあまり呼ばなかったりする
方なので[emoji:v-8]、プライベートな事はあまり書かない可能性
が高いかも知れません[emoji:i-228]

こまめに更新していくつもりです。どうぞ宜しく[emoji:v-235]


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