越前岬

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暑い夏

こんばんは。久しぶりに更新します。

今日は、「立秋」。暦上ではもう秋になりますが、毎日厳しい暑さが続いていますね


この暑さに負けじとロンドンオリンピックは、後半戦に入りさらに盛り上がりを見せています。
私(丈路)は、小学生の頃、その当時開催されていた「バルセロナオリンピック」を題材に夏休みの自由研究をしたほどオリンピックが大好きなので、毎日寝不足になりながら応援に熱がはいっています。

明日からは、オリンピックにクに加え、夏の風物詩・全国高校野球選手権大会も始まるので楽しみが倍増します。


さて、先月24日から27日まで「南部杜氏夏季講習会」を受講しに岩手へ行ってきました。


今回も講師の先生方のお話や、他の蔵で造りをしている友人たちとの交流を通して多くの知識を得ることができ実りある講習会になりました。


24BYの仕込み計画もほぼ決まり、今回得た知識をこの冬の造りに活かしていこうと思います。

わごころ放浪記 in大分・臼杵

今回も「わごころ放浪記」の続きをご報告させていただきます。

無事、篠栗四国を結願した翌日、特急電車を乗り継いで到着したのが大分県・臼杵市です。


臼杵市といえば・・・

有名なのが国宝に指定されている「臼杵石仏」です。

自分のなかで数年前から行きたかった場所の1つでした。


臼杵石仏は、阿蘇熔結凝灰岩の岩壁に刻まれた60余体の磨崖仏群です。
彫られたのは、平安時代後期から鎌倉時代にかけてだそうです。
ただ、誰がどのような目的で造ったかは現在でもはっきりとはわかっていません。

また凝灰岩は、軟らかい石質で彫りやすい反面、地下水や表面温度等の変化に弱く壊れやすい特徴があります。
そのため現在は、屋根をつけて石仏を風雨から守っています。


うすき


石仏をじっくり見てみると、一体一体の石仏が立体的に緻密に造られていて当時の職人技の凄さがひしひしと伝わってきました。

これだけの石仏を作り上げるのには何十年もの歳月を要し、その間何人もの人が命を落としたそうです。


いろいろと教えてくださったボランティアガイドさんが、
「今度は是非、雨の日に来るといいよ。」と教えてくださいました。

理由を伺うと、石仏の背景が赤く染まったり、晴れてる日には見えない梵字が浮かび上がってきたり様々な現象が起こるからだそうです。

ガイドさんにその様子を撮った写真を見せて頂きました。
これをみると臼杵石仏が学術的・芸術的に優れていることを改めて思いました。


ここは、仏の世界、魂の世界へと通じていく神秘的な何かを感じさせる場所でした。



そして、もう1つ。

臼杵は、キリシタン大名・大友宗麟が築城した臼杵城の城下町として栄えた歴史があります。

その歴史を今に伝えるのが、

「二王座」
と呼ばれる場所です。

ここは、情緒ある石畳に白壁の土蔵が多く残り、当時と変わらない町割が今もそのまま残っています。

また、寺院も数多く点在し、酒蔵やお醤油蔵、お茶屋などもあり城下町のたたずまいを残す風情ある町並みでした。


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その夜、麺類好きの私としてはご当地(大分県)の麺類を食べておかなくてはと思い、

「だんご汁」

をいただきました。

だんご汁は、小麦粉で作った平たい麺を味噌仕立ての汁にいれたものです。
具は、人参やごぼう、豚肉、こんにゃくなどたくさん入っていました。
何となく山梨県の「ほうとう」に似ていました。
とても美味しかったです。


大満足の大分・臼杵の旅となりました。

続 「わごころ放浪記」 福岡県・篠栗町

ひき続き、篠栗八十八ヶ所巡礼のご報告をさせていただきます。


今回、私が歩いた篠栗四国も様々な見所があります。


まず一つ目が、

篠栗四国の総本山である「南蔵院」です。


こちらには、全長41m、高さ11m、重さ300tのブロンズ製では世界一の涅槃像があります。
実際に近くで見るとすごい迫力でした


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境内には他にも不動明王像やおみやげもの屋さんが並ぶ仲見世通り等があり参拝者で賑わっていました。




二つ目が、

呑山(のみやま)観音寺です。

ここのご本尊である千手観音は、篠栗霊場が開創される以前からこの地に祀られていたそうです。
呑山観音寺は、篠栗霊場の中でも奥の院に次ぐ標高の高い所にある札所でした。
歩いていると緑豊かな篠栗町を体感できる場所です


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三つ目が、

篠栗四国最大の難所、若杉奥の院です。

681mの若杉山は神霊が在す山で千古の老杉と共に「霊峰若杉」といわれてきた霊山です。
手前の札所からさらに2km程山道を歩いたところに奥の院はあります。

遍路道を歩き奥の院の本堂まであともう少しというところに、
奥の院の関所とよばれる「はさみ岩」が参拝者を待っています。


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この岩は、中国の僧がここを訪れた際に念力で押し開いたと伝えられています。
また、この岩は善人しか通ることができない言い伝えもあります

「はさみ岩」には傾斜があり足元もすべりやすくなっています。
鎖を持ちながら大人一人が入れるぐらいの岩と岩の隙間を通りました

私自身なんとか通れたことにほっとして、本堂で感謝を込めてお経を唱え下山しました。




篠栗四国は全長50km〜60km程のところに八十八ヶ所が点在しています。
ただ、前回のブログで書いたように僧のいない観音堂も多くあります。
そのお堂は、「堂守」とよばれる方によって守られています。

堂守さんのおかげで境内はきれいに掃除され、お遍路さんを迎え入れてくれます。
私もある札所では、温かいお声をかけていただき、またあるところでは、冷たいお茶のお接待をしていただきました。

このように多くの人の手によって篠栗四国は慈悲の心で代々受け継がれているんだとわかりました。


この体験は、私の日々の行いを見つめなおすきっかけになりました。
何かをするときに相手の立場になってみること、
他人に対する思いやりの気持ちをもって行動することの大切さを改めて気付かされました。

わごころ放浪記 in福岡・篠栗

ここから「わごころ放浪記」は、霊場巡りの様子をご報告します。


今回の舞台は、福岡県篠栗町(ささぐりちょう)。


まずは、篠栗四国霊場の始まりについてお話したいと思います。

私が訪れた篠栗は、今から1200年前に唐から帰朝した空海(弘法大師)が、若杉山(奥の院)を訪れ、加持修法によって人々を救済した霊験あらたかな土地です。

その後時代は流れ、1835年尼僧慈忍が四国八十八ヶ所を巡拝した帰り、同地に立ち寄りました。
その際、村の者達の困窮を垣間みた慈忍は、その救済を目的に篠栗にとどまり弘法大師の名において祈願を続け、
やがて村に安寧をもたらしたそうです。

このことを弘法大師の利益であるとした慈忍は、八十八ヶ所の創設を発願し、それが篠栗霊場の始まりといわれています。

慈忍は、残念ながら志半ばで亡くなられましたが、その後を継いだ篤信者の藤木藤助が1854年、ようやく篠栗四国八十八ヶ所の形態を完成させました。

今では、小豆島四国、知多四国とならび日本三大四国となっています。



さて霊場巡り1日目。

篠栗町には、博多駅から電車で25分で着きます。

時計を見ると午後2時30分。まずは、情報を集めるべく駅近くの観光案内所へ。

歩き遍路用の地図等をいただき、今度は納経帳を買うため近くのお店に行きました。
そこで納経帳を買い、手荷物も預け準備完了。

そうこうしているうちに午後3時になっていました。

慌てず今日は、行けるところまで行こうと思い歩き始めました。


お遍路さんは札所をお参りし終わると、住職さんに納経をしてもらうのですが篠栗四国では、
僧のいない小規模な観音堂ようなところではセルフで自分が納経する形になっていました。
初めての体験でなかなか綺麗にハンコが押せず苦戦しました。


夕方5時になり今日の巡拝は止め、寝るところを探しました。
初めての場所のため土地勘がわからずもらった地図に書いてあった「観音公園」で野宿することに決めました。



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屋根とトイレ、水がある野宿するには文句なしのところでしたが、食料がカロリーメイト1箱に小さなおまんじゅう1個しか持っていませんでした。まわりにお店もなく、明日は、ここからさらに山を登るのでお昼まではこの食料で過ごさなければならなくなりました。

これも修行ととらえ我慢・・・


思えばこんな事をして9年になるなぁ〜と思いました。


毎年の積み重ねで、自分のなかで「生き方」がなんとなくわかってきた感じがします。


今回もどんな出会い体験ができるのかわくわくしながら眠りにつきました。

わごころ放浪記 2012

今年も「和」のこころを求めて私(丈路)は、近畿・九州・四国と旅をしてきました。
今回より、ブログにて報告していきたいと思います。


まず、初日(13日)は、京都の建仁寺に行ってきました。


建仁寺の庭が好きで京都に行くとよく訪れるお寺の1つです。
今は、平成26年に厳修される栄西禅師八百年大遠諱記念事業を控え、屋根の葺き替え工事期間中のため、
方丈庭園には足場が組まれ観れなかったのが残念でした。


さてこの時期、建仁寺では書家・金澤翔子氏の個展「建仁寺展」が開かれています。


私が行った日が最終日とあって朝から大勢の人が訪れていました。

以前、建仁寺で「風神雷神」の書を目にして以来一度お会いしたいと思っていました。
金澤翔子さんの書はダイナミックで生き生きしています。
作品ひとつひとつに生きる力強さが表現されていて、観る人の心を書の世界に惹きつけていきます。

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今回は、翔子さんとお母様の泰子さんともお会いし、お話することができました。
お2人にお会いして「如何にして人に感動をあたえるものを造りだすか」という
自分の中の問題を解決するヒントをいただいた気がしました。

とても素敵な時間をありがとうございました。


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酒器と日本酒

福井市内では桜が満開となりました。


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それとともに週末いろいろなイベントが開催されました。
そこで日曜日、越前焼の陶芸家・新藤聡子さんの春の新作展を見に行ってきました。

新藤さんの作品をみるのは初めてでしたが、
土のぬくもりが感じられあたたかみのある作品ばかりでした。


その作品の中で、こちらのぐい呑みが気に入って購入しました。

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この酒器は、「粉引」というもので、
粉引とは、本体(茶色の土)に白土を掛けたものだそうです。

シンプルながらもやわらかなまるみのある感じが気に入りました。
「越前岬」の酒質によくマッチしそうだな〜と思いました。


最後に新藤さんご本人とも少しお話することができました。
穏やかで優しそうな素敵な方でした。
造るものは違えど作り手さんとお話をするのはとても勉強になり楽しいです。


その夜、早速晩酌で使ってみました。
6号生原酒と純一絵のぬる燗をぐい呑みにいれ飲んでみると、
口に当たる感じも良く、そしてぐい呑みが優しくお酒を包みこんでくれるようで、
いつもよりワンランク上のお酒に変わりおいしく飲めました。


永く使える良いものに出会えた一日でした

福井が誇る冬の味覚

ひと雨ごとに寒さが増してくるようになってきました。

土曜日、東京から友人が来たので越前岬の飲める飲食店へ行きました。

せっかくこの時期に福井へきたので、アレを食べて帰ってもらわないとと思い
前もって予約しておいたのが・・・


そうです「福井が誇る冬の味覚」


越前がに 
です。


今月6日より解禁になったばかりで私も今シーズン始めていただきました。

越前がにがおいしい理由の1つに、
他県の漁船が帰港までに3日程かかるのに対し、福井県沖は漁場が近く、
日帰りで水揚げされるため、蟹の鮮度が抜群であることがあげられます。


蟹のあしに付いている黄色のタグは福井の漁場で獲れた証です。
ちなみに、お隣石川県で獲れる加能がにには水色のタグが付いています。


さて、お店に付いて「越前岬大吟醸」を飲みながらお刺身等を食べていると、
釜茹でされた越前がにが登場してきました。

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絶妙の茹で加減・塩加減で茹でてあり、肉厚でほんのり甘みもあってホント美味しかったです。
特に、みそは、濃厚でとろける旨さが口の中に広がり絶品でした




ここで越前がにに合うお酒をご紹介します。
それは、こちらです。

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この「越前岬純一絵」は、冷やして飲んでもおいしいのですが、ぬる燗ぐらいで飲んでいただくと
蟹の甘みと見事にマッチするのでおすすめです。

ぜに、お試し下さい。

今日は、至福の時間が過ごせました。      田邊丈路

シンポジウム 「いのちを慈しむ」

11月2日、永平寺禅を学ぶ会主催のシンポジウムが永平寺町の四季の森文化館で開かれ、拝聴してきました。

今年は、「いのちを慈(いつく)しむ」をテーマに
福島県飯舘村の酪農家・長谷川健一さんと小浜市明通寺住職の中島哲演さんの講演でした。


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まず、長谷川さんのお話で印象に残ったのは、
原発事故が起きて、今日までの大変なご苦労もさることながら、
これからの子供たちのことをものすごく懸念されていたことでした。

飯舘村のある女子高校生は、
「自分は結婚できるだろうか? たとえ結婚できても出産はできるだろうか?」と
将来に対する不安な胸の内を話したそうです。

また、今後飯舘村出身ということで子供達が差別に遭わないか不安視されていました。
災害弱者である子供達に我々がもっと目を向ける必要があると思いました。
加えて、長谷川さんは今回の震災・原発事故を教訓として残し、決して風化さえないことを願っていました。

次に話された中島住職は、一人の広島の原爆被害者と出会い、
その方から切実な体験談を聞き、その後住職自身、色々なことを考え・行動してきたそうです。

お話の中で、「原発被害の怖さは、歳月が経たないとわからないことが多く、
また自分の世代で終わるのではなく、子や孫たちに及ぼす遺伝的影響が心配である。」
とおっしゃっていました。

そして、「今年は生き方の転換点にあって、後からくるもののために、
今の我々がどう行動するべきかをもう一度考えなければならない。」
とおっしゃっていました。


今回のお二人の話を聴き、またテーマである「いのちを慈しむ」を考ることで、
自分自身の生き方や行動の仕方を改めて見つめ直す良い機会になりました。

ブッダのことばの一節「慈しみ」の一文に
「目にみえるものでも、見えないものでも、遠くに或いは近くに住むものでも、
 すでに生まれたものでも、これからうまれようと欲するものでも、
 一切の生きとし生けるものは幸福であれ。」 
ということばがあります。

このことばは、今を生きる(生かされている)私達がいま何をしなければならないか。
そんな問いかけに対する1つの答えであるように思います。

便利・豊かさを追い求めるあまり身近にある幸せを見過ごしがちな現代。

大量生産・開発競争に明け暮れているあまり、本当に必要なもの、子孫に残すべきものを
失いつつある現代。

そんな現代だからこそもう一度原点に立ち返り、我々の命は自然によって
生かされているんだと気付かなければいけないと思います。


そして、「足るを知る」ことの大切さ、他のいのちをおもいやり、
自らと同じように他を慈しむ心で、人生をおくり、
地球の生命を子孫に残すことが今を生きる我々の使命であり、
未来の幸福につながると私は思います。


いよいよ今月から酒造りが始まります。
今を大切に、感謝の心をもって、頑張っていこうと思います。       (田邊 丈路)

南部杜氏講習会

ご無沙汰しています旅と日本酒を愛する丈路です

今回私は、毎年恒例の南部杜氏講習会を皮切りに、
岩手・宮城・埼玉・東京…と「越前岬」のあるところに行ってきました。
ここでもとても素敵な出会いが沢山あり、充実した日々が送れました。
今後は、出会いをもとに何か形として表わすことが出来ればと考えています。

また、私事ですが、何とか

「南部杜氏選考試験」に合格することができました


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現在、南部杜氏の下、南部流の酒造りを学んでいる自分にとっては、取得しておかなければならないと思っていたので、ほっとしています。

フランスにて PART2

20日は、モン・サン・ミッシェルへの日帰りバスツアーに参加しました

パリ市街地を抜けると、のどかな田園風景が広がり、牛や羊が群れとなってのんびりすごしていました。
出発から4時間、ついにモン・サン・ミッシェルが姿を現しました。
 モン・サン・ミッシェルは、古くはケルト人から「墓の山」と呼ばれ、信仰の対象とされてきました。
そして、8C、ノルマンディー司教オーベールが、大天使ミカエルのお告げを受け、この地に礼拝堂を建てました。
 以来、時代を追って増改築が行われ、次第に巡礼地として栄えるようになりました。

 モン・サン・ミッシェルは、14Cのイギリスとの百年戦争の時には要塞として機能し、また、ルイ11世時代からナポレオン3世時代までは
監獄として利用されていたそうです。
 学生時代、世界史の授業でゴシック様式やロマネスク様式を勉強しましたが、当時はいまいちピンと来ませんでした[emoji:v-356]しかし、今回実際の建物を目にし、ガイドさんの話を聞いて、なるほど[emoji:v-363]と理解できました。

 「海に浮かぶ孤島」と呼ばれ、ユネスコ世界文化遺産にも登録されているモン・サン・ミッシェルも、近年、島と陸地をつなぐ道路のせいで、周辺に大量の砂が累積し、かつての景観が失われつつあります。
そこで、現在道路を取り壊し、代わりに橋を架ける工事が進行中です。観光客にとっては少し不便になりますが、従来のモン・サン・ミッシェルに戻すことが、後世に引き継ぐ大事な役割だと思いました。

 長き時代を経て、多くの人々を魅了しているモン・サン・ミッシェル。
 今度は闇夜に浮かぶ姿も見てみたくなりました[emoji:v-398]


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