越前岬

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わごころ放浪記 IN 小値賀町 PART3

さて、今回はこの旅のまとめです。

今回、小値賀町を旅して本当の幸せとは何か?
本当の豊かさとは何か?を改めて問う日々でした。

この町は、交通の便も決して良くない。
24時間営業のコンビニがある訳でもない。
加えて、私たちが使用している某メーカーの携帯電話は、ほとんどが圏外と言う状況でした。

しかし、この町には、古き良き和(わ)文化が残り、島を誇りに思い、今あるありのままの風景や資源を次世代へ継承するという郷土愛が、私と同世代の方との話(わ)からも聞くことができました。
そして何より、心優しき町民の方々のお互いを思いやり、助け合う輪(わ)がありました。

最初、フェリーから降りて小値賀町の空気を吸った時、どことなく懐かしさを覚えたのは、こう言った「わごころ」がしっかり根付いていたからかもしれません。


人は欲多き生き物です。
現代は時間に追われ、開発競争に追われ、他人と比べるが故に、身近にある幸せ・豊かさを感じられなくなっているのかも知れません。
今よりも、もう少しゆっくり暮らすことができ、相手を思いやり、慈しむ心が強くなれば、きっと素敵な日本になっていくのだ。と、この旅を通して思いました。

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日々前進する事はとても大事なことです。
しかし、その中で、一度立ち止まってみる事も同じくらい大切な事かましれません。
そのことで気付く何かがあるはずです。
それが、小さな幸せ・小さな豊かさだと受け止められる自分でいたいと思います。

小値賀町の皆さま、本当にお世話になり、ありがとうございました


最後に。田辺酒造全員より。
東日本大震災の被害にあわれた皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
 今回の震災で、我々一人一人が命の尊さを改めて感じ、今まで当たり前だと見過ごしてきた事が、実はとてもかけがえのない事だったのだと気付かされました。
 一日も早い復興を心より願います。そして、私たちも日々を今まで以上に懸命に過ごしていきたいと思います。

わごころ放浪記 IN 小値賀町 PART2

2日目は、自転車で小値賀島と斑島(まだらしま)を周ることにしました

 斑島は、小値賀島と橋で結ばれています。
行く途中、何度も牛に注意の標識を目にしましたすると、ついに本当に牛の群れに遭遇。
牛たちは、芝生の上でゆっくりくつろいでいました。何とものどかな光景です。
牛の群れを横目に自転車を走らせたどり着いた場所が「玉石甌穴(ぎょくせきおうけつ)」通称、ポットホールです。

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ポットホールとは…岩の窪みに小石が入り込み、それが波や流水によって回転します。
そのことで、岩は更に窪みを深くし、小石は摩耗してきれいな球形になります。
そのような状態にある窪みのことを、ポットホールと言うそうで、その場所を初めて見た私は、自然の力が創り出した神秘を感じました

次に向かったのは、「柿の浜海岸」です。
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私が訪れた時は誰一人いない、まさにプライベートビーチでした
潮の満引によって現れる溶岩もばっちり見ることができました。
目に見えるのは、果てしなく続く青い空と透明度の高いマリンブルーの海。聞こえてくるのは、風の音だけ。
こんな空間を独り占めでき、とても贅沢な時間を過ごすことができました

小値賀島を走っていると、よく赤い土壌を目にします。
それは、この島が火山群島でできていることを表したものでした。
その極め付きが、「赤浜海岸」でした。

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普通、砂浜は“白色”なのですが、火山島ならではの“赤色”なのです
ここは昔、「あずき浜」と呼ばれていたそうです。
赤い砂浜に青い海のコントラストもまた良いものでした。


小値賀町は今、住まい手を失った古民家をかけがえのない島の文化資源として捉え、

古民家再生活用プロジェクト

という事業を始めています。
現在は、5つの古民家がこのプロジェクトの元、利用され、ステイ・レストランとして稼働されています。
この5つは、いずれも当時の歴史や物語を感じさせる建物でした。


町を一周してみて、美しき日本の姿が、この小値賀町には存在することが実感できました。

ちなみに…私の体は、この2日間ですっかり日に焼けてしまいました

わごころ放浪記 IN 小値賀町

久々のブログ更新となりました
旅と日本酒をこよなく愛する、田邊丈路です
久々の更新…私と言えば…そう
今回、旅の舞台は、長崎県の五島列島北にある小値賀町です。

5月13日〜15日の泊3日で出掛けてきました。
福井から特急・新幹線・フェリーを乗り継いで約11時間
到着した小値賀町はどことなく懐かしさを感じさせる場所でした。

まず1日目は町営船に乗り、小値賀島から約30分の野崎島に向かいました。
野崎島は、昭和40年代までは人々が暮らしていましたが、現在は無人島になっています。
私がこの島を訪れようと思った目的の1つに旧野首教会がありました。

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 旧野首教会は、明治41年、教会建築の名工、鉄川与助によって設計・施工されました。
また、彼にとって初のレンガ造りの教会でもあります。
当時は、教会建築が木造からレンガ造りに変わる時期で、創建当時の原形が保たれているため、全国の教会の中でも高い評価を受けているそうです。
現在「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」としてUNESCOの世界遺産暫定リストに追加されています。

その日、私が船から降り、野生の鹿に遭遇しながらなだらかな山道を歩いて行くと、目の前に現れたのが、旧野首教会でした。
外観は重厚で風格がある建物でした。
静かに中に入ると、外観とは違って、白い壁にステンドガラスから差し込める優しい日差しが足元を照らしてくれました。いすに腰掛け目を閉じると、何とも言えない心地よい時間が流れていくようでした

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ただ、忘れてはならないのは、この教会にはキリシタンであるが故の迫害を受けながら、過酷な環境の中生き抜いた、キリシタンの人たちの歴史が刻まれているということです。今の私たちには、当時の人々の気持ちを受け止めることは容易ではありません。
それでも、小値賀の人たちは、皆この教会とここに暮していた人々の思いを後世に伝えるべく頑張っています。

世界遺産になれば、当然、今より観光客が増えるでしょう。しかし、ここに訪れる私たちがしっかり島のルールを守り、島の人たちの志を受け止めなければならないと強く感じました。
 教会への山道も決してきれいに舗装されているわけではありません。昔と変わらない手つかずに残る道があるだけです。それがこの島(野崎島)なのです。
私は、そのことがとても素晴らしく思いました。

 人は、自分の都合や利便性を求めるあまり、多くの自然を失いました。
しかし、この島には、とても魅力的な自然の豊かさが残っています。
ここに居ると、人間を自然が包み込む、自然の偉大さを改めて感じさせられました。


この日は、何かあったかい気持ちで、野崎島を後にし、小値賀島へ帰りました

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